原爆と私
劇団で被爆者を演じて
橋本なほ子
1999年4月
私は、最近インターネットを始め、偶然、このサイトを見つけ、読ませていただきました。
私は現在25歳。平和な時代に生まれ、戦争の経験もありません。
ただ、数年前に真剣に原爆について考えたことがあり、個人的なことですが、書かせていただこうと思い、書いております。
下手すれば、失礼にあたるかもしれませんが、お許しください。
私は、アマチュア劇団に入っており、ちょうど終戦50周年の時に、「ピカの陰から」というお芝居をやりました。
私は7歳のときに原爆で背中にやけどを負った、女性の役でした。
設定は昭和40年代後半、原爆で両親を亡くし、兄と二人で東京まで逃げ、ひっそりと生活をしているところに、広島の友人が原爆症で亡くなったという知らせが届くというところから始まります。
恋人には被爆者であるということを打ち明けられず、結婚を申し込まれても受けることができない。 その私が演じた被爆者の女性は、背中のやけどのことだけでなく、結婚したら生まれるであろう子供のことを考え、本来うれしいはずの結婚の申し込みに苦しみます。
兄はトラックの運転手だが、白内障で事故を起こし、逃げて帰ってくる。そして兄は、被爆者でないものに俺たちの苦しみはわからないといい、結婚に反対します。
そして被爆者であることをやっとの思いで告白した女性に、恋人は「そんなこと」といいます。
恋人には彼女の心の本当の傷はそのときは想像もつかなかったのでしょう。
魂を絞りとられるような思いをしながら、それでも立ちあがって必死で言う彼女の本当の苦しみは、きっとわからなかったのでしょう。
最後は、二人が逃げずに生活していこうと、いうところで芝居は終わります。
脚本が決まってから、公演まであまり日にちがなく、十分に勉強もできませんでしたが、私はこのときに、図書館をから原爆関係の本をかりて読みあさり、写真集も見ました。貴重な体験談がたくさんあり、毎日泣きながら読みました。
そしてはきそうになりながらも、写真集をみました。
これは実際に起こったことなんだ、私の役はこの地獄を7歳のときに体験したんだと、言い聞かせながら、本を読み、写真を見ました。
でも、どうしても実感できませんでした。
ある程度想像することはできても、どうしても現実に起こった、として自分自身に置き換えることができないのです。
ある程度はできても、どうしてもそれ以上はできない。
そして、できないとわかったときにゾッとしました。
平和な時代に生きた私たちが想像できないほどひどいことだったんだと思って。
そして、そのときの死者、やけどを負った人たちだけでなく、放射能の怖さ。
それを実感したのは、その芝居とは関係なかったんですが、原爆関係の本を読め、と私に進言した演出家とたまたまでかけたときに、その人が鼻血を出しました。
特にどうということはなかったんですが、そのときにポツリと言ったんです。
「被爆者の人は、鼻血がでただけでも、こわいんだろうね」と。
私はハッとしました。
私たちにはなんてことないことでも、被爆者の方たちにとっては、死を感じさせることなんだと。
想像できないほどひどいことがおき、それを受けた人々はいまだに傷を引きずっている・・・・。
そして、そのお芝居をやっていときは、ちょうどフランスの核実験の最中でした。
テレビで広島の方のインタビューがあり、それを聞いて私は泣きました。
きっと、この芝居をやっていなければ、聞き逃したでしょう。
「苦しみをわかってくれ」
この言葉だけで、涙が出て止まりませんでした。
そして、「平和のための核実験」だという、フランスのコメントに怒りだけでなく、なんともいえない気持ちでした。
人類はいつになったら気づくんだろうと。
本の被爆者の方の言葉にこういう言葉がありました。
「いくら言っても、うけたものにしかわからん。だから、抗議文をだしても、集会をひらいても、蛙の面にしょんべんなんです」
残念ながらそうかもしれないと、私は思いました。
私も、この芝居をしなければ、核実験にしても、もちろん、多少の関心は寄せたでしょうが、これほどの気持ちはもたなかったと思います。
私は、子供のころ、母に原爆ドームにつれていってもらったこともありますし、、「はだしのゲン」や他の原爆のことを書いた子供向けの本がうちにはたくさんありました。
ある程度、原爆に関して知っているつもりで、そこそこ関心もありました。
でも、中学校、高校、短大と、大人になるにつれ、原爆のことを思い出すのは、原爆の投下日ぐらいでした。
恥ずかしながら、真剣に考えたことは少なかったのです。
そして、公演が終わった後、ずっとこのことばかり考えていた私は、解放された気分いなっていました。
もう当分、原爆のことは考えたくない、と思い、そう思ってから、ハッしました。
被爆者の方たちは一生このことがつきまとうんだと、そう思いました。
被爆者の方の気持ちを思うとたまりません。
長くなってしまいました。
もしかしたら、このような考え方や気持ちは失礼にあたるかもしれないとは思いますが、こんな気持ちを口にしたこがなかったので、思わず書いてしましました。
失礼があれば重ねておわびいたします。
私をふくめ、いろいろな人たちにこのような体験談をもっと聞かせていただき、今後このようなことが二度と起こらぬよう働きかけなければならないと私は思います。
核実験や今はユーゴの空爆など、世界はあやうい方向に向かっているのでは、と感じることが最近よくあります。
この芝居をするまで、原爆のことは年に何度かしか思い出さなかった私が言うのもおこがましいでしょうが、ぜひ、被爆者の苦しみを、そして、寺尾先生がなかなか口にできなかった思いを、私は大勢の人に知って欲しいと思います。
二度と戦争が、核を使われることがないように。
最後になりましたが、すばらしいページを読ませていただきありがとうございました。
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