COARAメンバー故寺尾武治先生の「原子爆弾による被爆の話」COARAメンバーの結婚祝賀パーティで談笑する故寺尾先生 先生は、1986年、当時の新設高校の大分県立別府羽室台高校の初代校長として退職されるまで、長きにわたり教壇で教鞭をとられました。そしてここに再掲載する文章は、先生が1945年8月、広島高等師範学校時代に御体験された広島での原爆被爆のご自分の体験談と、それによせられた多くのCOARAメンバー、そして渡良瀬ネットのメンバーらによるレスポンスです。 被爆体験をお話になると言うことは、単なる当時の状況の文章化ではなく、辛い忌まわしい忘れたい過去の告白でもあり、戦後46年間(当時)背負ってきた被爆者としての身体だけでなく心の傷をもった生活の告白でもあったのです。 もう忘れたい、しかし、教育者として後生に残さなければいけない。この心の中の格闘の中で書かれた文章です。 冷戦は終わり、核廃絶も現実味を帯びてきたかのように思えた近年においても、中国、フランスとまだ核実験を繰り返し、また、地球上には多くの核兵器が依然存在しております。 その核兵器による被爆という現実を体験された寺尾先生の心の叫びを、世界の多くの方々にお届けしたいと思います 先生の教え子の一人(大分雄城台高校時代)として、COARAの仲間の一人として、一市民として、私の判断で、私の責任の基、現在COARAを退会されていると明らかに私が判断できる方のレスポンスを除きまして再掲載いたしました。 3編に分けてアップロードされました先生の文章、そのレスポンスと先生自身によるレスポンスも含み5編にまとめました。 英語への翻訳はCOARAメンバーの永野建一さんのご協力によるものです。 また、表紙のイラストは、奥様でいらっしゃいます永野美恵子さんによるものです。 編集責任 松村亮司 |