韓国の李承煕氏より1998年10月
私は寺尾先生が私達一人一人が深く読むべきメッセージを残してくれたと思っております。被爆当日の先生の行動はまさに人間味溢れるものです。私は先生が全身を包帯でぐるぐる巻きにして焦土と化した市街を親類、知人、そして学校を探してさ迷っている姿を想像するとき、ご自身が傷つき助けを求めている肉体的苦痛よりも、知った人たちがみな居なくなってしまったという事実を知った精神的苦痛のほうが寺尾先生にとって大きかったのではないかと思うのです。 先生はご自分にも助けが必要であることをお忘れになっていました。そしてこのような破滅の中で他の人々への愛をお示しになったのです。 先生が周囲の累々たる屍を見たとき、自分は助かってよかったとはお感じにならなかったのではないでしょうか。生き長らえて周囲に屍の山を見るくらいならむしろ自分もその屍のひとつになっていたほうがよかったと感じられたのだと思います。だからこそその屍の中を誰か生きている人はいないかと探されたのでしょう。 先生は後になって長時間さ迷ったことを後悔されていますが、これは先生の愛する人々がみな死ぬか行方がわからない状況の中で、ご自分一人だけが生き残ったことがどんなに辛いのかを語り掛ける人すらも居なかったからなのでしょう。 先生はこのような状況をよくするためにご自分では何一つしてやれないとお感じになり、苦悶されました。 先生は人を非難したり、口論したり、争ったり、また非協力な態度などは状況を少しも良くするものではなく、寛容、愛、そして安らぎこそが過去の傷痕を癒すものであることをよくご存知でした。 だからこそ先生はその手記の最後で「私はこの世にいつも感謝しています」と述べられたのです。 寺尾先生は精神の持つ力のようなものをお示しになりました。この力こそが日本を始め、世界中を平和に保つものなのです。 私は故寺尾先生のこの「記録」の中に、消そうとしても消えない一条の生命の光を見出しています。 ありがとうございました。 |