読者からのメッセージ

Part1


木村由美 大分県 大分市  96/07/08

kimu.jpg その1に「8月6日 宮島を出て、いつものように」とあります。 多分、8月6日の朝を迎えた時は、
「いつもと同じ一日」の始まりだったんですね・・・

寺尾先生の文章を読んで、涙で途中からまともに字が読めなくなりました。
戦後50年が過ぎ、「戦後は終わった」と言う人がいますが、
戦争体験者にとって「戦後」は永久に続いているんだと感じました。
時計が8月6日で止まってしまっているようです。

今もどこかで戦争があり、核実験が繰り返されています。
地球上の生き物の中で、人間だけが「過ち」から何も学ぼうとしない 愚かな生物なんだと思ってしまいます。

この文章がcafeに書き込まれた時に、リアルタイムで読みたかったです。 寺尾先生とお話したかったです。

寺尾先生、辛い思いを文章にしていただいて、ありがとうございました。
松村さん、再UPして、新人コアラの私とこの体験談との出会いを作っていただいてありがとうございました。


浦塚政子  大分県 日田市 96/07/09

masako.jpg そうですね

 木村さん、私も同感です。

 松村さんにここに再UPしていただき、6年前へ イエ、51年前へと、私の心はタイムスリップ致しました。

この記録をプリントファイルして残すことにしました。
惨い戦争を後生の人に伝えていくことが、私達戦争経験者の務めだと思います。一人でも多くの人に読んで頂きたい為に残しました。

 先日、友人の一人が、寺尾先生のかっての教え子であることが判り、先生の御訃報と共にこの御遺稿の事をお知らせしました。先生が原爆に会われたことは知っていましたが、このプリントをお渡ししたら抱きしめて帰りましたが、ご主人と一緒に何回も何回も繰り返し読んでいらっしゃるのだそうです。涙をためてお礼を言われました。

 此の国に、こんな平和がおとづれるなどと、あの時誰がどうして想像出来たでしょう。私達は、あの戦争の犠牲者となった相手国や自国の何千万の尊い命と引き替えに得た平和で有ることを、ゆめゆめ忘れてはいけません。

 寺尾先生の勇気有るこの「原爆体験記」こそ、コアラ誕生以来の最高の価値有る発言だと思います。木村さんのおっしゃっているように、もっと沢山の人達の目に留まる事を祈っています。

松村さん、本当にありがとうございました。

                            浦塚


松本志磨子  大分県 大分市 96/08/06

 今日は8月6日です。まだ自分でうまく言えませんが、思ったことを書かせていただきます。

 松村さんに寺尾先生の体験記に関して、お話をお聞きしてすぐに読ませていただきました。

 変な言い方になってしまうかもしれませんが、私は通信をやっていて本当に良かったと感じました。
受け手であり、送り手である通信という媒体のなかで、読ませていただいたからこそ、実際に寺尾先生にお会いしていなくても先生のこの50年間の苦しいお気持ち、つらいお気持ちを、自分なりに感じ取ることができたような気がします。

 これが、一方的に情報が送られてくる新聞、テレビでは、これほどまでに心のなかには響いてこなかったでしょう。

 今年は原爆投下から51年目です。しかし50年という節目の昨年と違い、ほとんど関係の記事を目にしたり、話題にのぼることがありません。

 なにか区切りがついたという感じさえします。
 でも、本当にそうなのでしょうか?

 被爆された方々は、まだ苦しんでいます。
核実験は行われてます。戦争はこの世界からなくなっていません。
広島、長崎のことはまだ終わってないのです。

まだ人々の心の中から消えてはいけないことではないでしょうか。
私は友人にこのホームページのことを知らせようと思ってます。

 寺尾先生の手記に関しては、何度読んでも涙が出てきてしまいます。
おつらかっただろうに、coaraで書いてくださり、本当にありがとうございます。
もっとはやくにcoaraに入って、寺尾先生にお会いしたかったです。
 また、寺尾先生の手記を読む機会を与えてくださった松村さんには本当に感謝いたします。
 ありがとうございました。

                     松本志磨子(shima)


クラウス・ピーター:ノルウェー 96/08/27

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

永野さんの「お盆」のページで「寺尾メモ」へのリンクを知らせてくれてありがとうございます。学校で1時間かけて「原子爆弾による被爆の話」を読みました。
ショックでした。言うべき言葉を知りません。

故寺尾さんが被爆当時のことを思い出すたびに感じたであろうパニックを本当に理解できるのはおそらく被爆者(または戦争犠牲者)のみでしょう。私は寺尾さんがその体験を人に話すことによって最終的には心の安らぎを得られたことと思います。私もサイレンの音やプロペラ機の爆音を聞くたびに不安に駆られ、身の毛がよだつ思いをする人々を知っています。

誰もがそう願うように私も人類が二度と戦火の地獄に突き進んではならないと考えます。
しかしこの点について私はどちらかといえば悲観的です。1945年以降も数多くの戦争が 起こっています。
「文明化」されたはずのヨーロッパでさえ戦争という犯罪を目撃してきました。人々は過去の教訓からなかなか学ぼうとはせず、忘れるのは早いのです。

だからこそこの教訓を常に繰り返し伝えなければならないのです。さらには私たちは戦争によって財産や権力、名誉などを得ようとする人がいまだに存在することを決して許してはなりません。


スティーヴ・ペニー:オーストラリア 96/09/02

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

永野さん、あなたのホームページに松村さんのサイトへのリンクを張ってくれて感謝しています。故寺尾さんの「原子爆弾による被爆の話」を読みました。
私が小さい頃、祖父が広島・長崎の原爆の話をしてくれました。わたしはそれを聞いて怒り、同情、悲しみ、そして苦痛を感じました。わたしは原爆について多くの資料を読み記録映画や写真を見、またなぜ原爆が投下されたのかについても聞きました。

私はどのような理由があるにせよ、あのような恐ろしいことをしてはならないと強く思います。この残虐行為を世界中の人に知らせ常にそれを思い起こさせるべきと考えます。


宮崎 覚 :米国ミシガン州立大学 96/09/02

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

寺尾さんは結局もっと書きたかったのだけれど、耐えきれずに止めたのか、それとも、本当にもうあれ以上書くのが嫌になって止めたのか、今となってはわかりませんが、私個人的には、もう少し書いてあったらと思っています。しかしあれだけの描写でも十分原爆の悲惨さが伝わってくると思います。でもやがては世代が交代し被爆者自身の口から直接聞けなくなるともう歴史の一ページとしてしか扱われなくなるかと思うとやはり、悲しくなります。


ダン・プリム:アメリカ 96/09/14

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

寺尾メモに関する私の考え

Dan4.gif  私は故寺尾先生の手記を読んでいろいろと感じ、また考えされられました。最初に私は体験した恐怖感がどんなものだったかを、ついでこのような信じがたい状況の中で寺尾さんがショックで感覚が麻痺してしまっただあろうことに思いを馳せました。さらには原爆被災者が耐えてきた消すに消されぬ精神的、肉体的傷痕について考えました。私は被爆者の苦難、痛みに心から深い悲しみを感じます。私はいままで長い間寺尾さんの体験について考えてきましたが最終的に戦争そのものについて考えざるを得なくなりました。寺尾さんの苦しみはそれが天災ではなく、人間が周到に準備した行為、すなわち戦争によってもたらされたものだけにいっそう耐え難い苦痛だったのです。ある人々が他の人々を傷つけ殺害しようと意図することが破壊と苦痛の原因となるのです。この異常な状況を「戦争」と呼んでいます。見るも恐ろしい戦争行為の結果を記述することにより寺尾さんは平和の大切さを私たちに教えてくれたのです。

 しかしながら平和な世界を創り出し、それを維持してゆくためには私たちはなぜ戦争が起こるのかを理解する必要があります。一体、何の必要があって人を殺すのでしょうか。どんな種類の人間が他人を殺害するのでしょうか。この問いかけに対して既に二千年以上も前に答えが出されています。古代共和制ギリシャの哲学者プラトーは師ソクラテスの「正義」社会の探求について著述しています。ソクラテスの到達した結論は、最も良い社会とは贅沢さのない質素な社会である、というものです。人の欲望を掻き立てるようなものの無い質素な社会は常に平和であると述べています。この考え方に接して私はスペインの南米征服を思い起こしました。南米に黄金があったばかりにある文明全体が消滅し、何百万人もの生命が失われたのです。これはすべて人間の欲望を満たすために行われことです。

 ソクラテスによれば人間の発達には三つの段階があります。私はこの発達段階という考え方が人が他人に対して暴力を振るう傾向をよく示していると思います。第一の段階は生存のためのものです。つまり、食物、住居、衣服、および子孫を残すことです。これらはいずれも肉体的なもので、そこでは自分のことにしか関心が払われません。この段階にある人は自分の快適さや安全を脅かす者を平気で傷つけます。

 第二の段階は精神的な目覚めです。この段階では人は他人からの尊敬や賞賛を集めることを目的に行動し、それが名声、名誉、および富裕といった形になります。この段階では人間は自己の生存のために他人を殺害することはありませんが、富と名声を得るためには戦争をおこすのです。

 第三の、そして最終段階は理解と理性です。知的な、精神的な段階です。ここに到達した人は自己賞賛の愚劣さを認識しています。この段階に到達して初めて人は他人の悩みに対して哀れみを感じ、同情し、自分をすべての人々と結びつけて考えるようになります。この段階では人の行動規範は最大多数にとっての最大利益です。他人に危害を加えるような可能性はほとんどありません。これこそがソクラテスの求める哲学を持った理想社会の段階です。

 以上述べたことから考えてみると寺尾さんの体験は第一段階の人間が第二段階の政府に支配された必然的な結果であることが明白になります。つまり、無知な人々が無知な指導者を選ぶのです。愚かな、追いつめられた民衆がお前たちを苦痛から救ってやるぞと言われて、不適切な破壊主義的指導者を選んでしまうであろうことは想像に難くありません。1930年代に方角を失い混乱のなかにあったドイツの民衆はその解決の糸口をアドルフ・ヒットラーに見い出しました。この悲劇的な判断の誤りの結果、数百万人の人々が命を失いました。当時人々にもう少し判断力があったらヒットラーのユダヤ人に対する憎悪の念やゲルマン民族の優位性などという馬鹿げた主張には共鳴しなかったでことでしょう。

 したがって教育こそが平和を築き推進するために必須の条件となります。しかし一般的な論議ではほとんど役に立ちません。自己反省、自分自身への冷静な問いかけ、責任感、および勇気ある行動といったものの価値を認めてこそ理性ある考え方や自覚が生まれてきます。残念ながら今日の最先端といわれる社会形態は生産と消費に全面的に依存しています。人生には物質的な充足や個人の利益などよりももっと大切なものがあることに気付いている人はほとんど居りません。

 しかし物質至上主義から脱却することは可能であるばかりでなく、それは大きな喜びをもたらしてくれます。これにより愚劣な想像上の「必要なもの」の呪縛から開放されるとともに人を助けることの極めて大きな充足感が得られます。私たちの中には大哲学者のように脚光を浴びてその存在感を享受するような人はほとんど居ないでしょうが、世界を理解する見方を改めるべく行動し、周りの人々にも同様にするよう手助けすることは誰にでもできます。お互いに助け合い、配慮することが全地球規模で最重要事項であると認識されるようになれば世界平和は容易に実現するでしょう。


井原憲吾 広島県 広島市 96/09/24

 朝日新聞朝刊9月22日を読みましてアクセスしました。

 老人保健施設に勤めている関係で被爆者の方とのかかわりも日常の生活の中にあります。

 私の祖父も広島に駐屯していた陸軍曉部隊の生き残りです。原爆手帳を取得する要件を満たしていたようですが、敢えて取得しなかったようです。孫の私には詳しい話しをしてくれませんが、戦争の体験は語り尽くせないものがあると思います。
 語りたくないのに無理強いすることはできませんが、寺尾先生のように次世代に体験を語り継いで欲しいと思っています。

 有意義な活動と思います。これからも頑張って下さい。


神田大吾 奈良県 奈良市 96/11/4

 私は、奈良県で教員をしております、神田 大吾 というものです。
現在、6年生を担任しておりまして11月7、8と広島に修学旅行に行きます。
 それに伴い、平和教育を現在実践中であります。
 インターネットでの原爆に関する資料を探しておりましたとき寺尾先生の原爆体験談を読ませていただきました。映画や写真を見ていた私ですが、背筋が凍り付くような思いで読ませていただきました。また、長年、被爆体験について口をお開きにならなかった先生のお気持ちを想像するに、本当につらいものを感じました。

 私は広島県の生まれで、祖父は被爆しております。先生のお話にあった工場と爆心地からの距離がほぼ同(と思う)宇品と言うところの工場で被爆しました。
 祖父からは、原爆の話は聞いておりません(私が6歳の時亡くなった)。父が祖父の被爆の様子を語ってくれました。祖父は工場の中におり、ぴかっと光って、工場の外にいたものはおどろいて中に入り、工場の中にいたものはおどろいて外に出た。それで祖父はあのせん光も、爆風の影響も偶然会わずにすんだというのです。

 それで今回、寺尾先生のお話が、まるで私の祖父の話のようでとても冷静によんでいられる状態ではありませんでした。祖父は、死ぬまで被爆体験を家族に詳しく話さなかったようです。

 明日から、また6年生27名といっしょに広島への修学旅行の取り組みを続けます。
 貴重な体験談、もしよろしければクラスの子どもたちに紹介したいのですが、いかがでしょうか。

神田 大吾 28歳

編集者より返信 96/11/4

お読みいただきありがとうございます。
どうぞ、子供達に紹介して下さい。

原爆というものが、戦争というものが、社会の教科書の中の史実の1つとして扱われる中、「核兵器」「戦争」という人間の存在に対する大きな矛盾が、どのように人達に伝えることができるか、私は寺尾先生のこの文章とそして編集作業を通して考えさせられました。

<q供達の、子供達の年齢にして、その心のほんの片隅にでも残ってもらえれば、同じ教育者だった寺尾先生が天上からお喜びになられると思います。

有意義な修学旅行になることをお祈りいたします。

追伸

神田先生、先生の御感想のメール、「原子爆弾による被爆の話」の中に転載させていただきたいのですが、どうでしょう。

読んで下さった方の、一人一人の思いをこのページに書き加えることによって、寺尾先生のご遺志をより発展させていきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。

また、子供達の反応などもお聞かせいただけると幸いです。


  96/11/5

松村さん

 先日の「寺尾先生の原爆体験談を拝読して」を転載していただいて結構です。

 今日、隣のクラスの子が、戦争に関する聞き取り調査として、聞く人がどうしてもいなかったのでインターネットで検索して同じ寺尾先生の体験談を自分の感想といっしょにレポートとしてまとめているのを見ました。

 その隣の先生も、この体験談は生々しく読ませてもらったとおっしゃっていました。
この奇遇、不思議に思いました。

 子どもたちにどれだけおろせるかということについては、大変不安ですが、がんばってみます。また、報告させていただきます。

神田 大吾 from 奈良市


キャンダス・ベス:アメリカ 96/12/30

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

松村さん、

寺尾先生の手記とその反響を読んだ後、すぐに松村さんにお便りを書こうと思いながら今日まで出来ませんでした。改めてこの年末に寺尾メモを読み返しました。

何度読み返しても涙が溢れてきます。と同時に心休まる思いがして人生を振り返ることができました。年の瀬はこのようなことをする時であり、生かされていることに感謝し私達が祝福されていることに思いを馳せる時でもあります。

松村さんのページを拝読して世の中には善意の人々が居ると同時にそれを悪夢に変えてしまう人々も居ることも分かりました。これこそが故寺尾先生がご自分の生涯を通じて訴えたかったことだったのでしょう。寺尾先生のお言葉は人々、特に若い人に対する優しさと慈愛に満ちており、本当に素晴らしい記念碑です。私は先生の魂もとても喜んでおられると思います。先生をはじめとする方々のおかげで私は自分で考え、感じ、そして一人の人間として成長することができました。

私はニューヨークで外周り、旅行、接待といった多忙な生活にあけくれています。このメモワールのようなものを読むことは私にとって何を優先すべきかというバランス感覚を保つのに役立っています。これもあなたを始めとするコアラの皆さんのおかげです。

皆様方が健やかでよい新年をお迎えされますよう、また良いお仕事をされますようお祈り致します。

Candace Veth

編集者より返信 97/01/01

Candace Vethさん、メッセージありがとうございました。

明けましておめでとうございます。ニューヨークの元旦はいかがでしょうか?

寺尾先生の文章、編集したこの私も何度読んでも涙があふれます。
戦争を、そして核兵器による被爆という人生においてこれほど苦しいことがありえないというようなことを経験され、その傷跡を50年背負い続けてきた寺尾先生の、心の底からわき出てきた文章、私達はいろんなことを教わりました。

50年間、ほとんど御自分の葬り去りたかった忌まわしい体験を口に出さずに過ごされてきた寺尾先生が、コンピューターネットワークによるコミニュケーションにおいて、はじめて御自分のご意志で告白された寺尾メモの重み。私も自分の生きてきた中これほど衝撃的で考えさせられたものはありませんでした。

寺尾先生のこの文章は、国境や民族、文化を越え、全人類に語りかけたモニュメントとして、広くいろんな方々に知っていただきたい、また末永く残さねばならないものと私も考えております。

これからもこのサイト、お見守りください。

1997年がすばらしい年になりますよう、また、いつの日か寺尾先生の墓前に、「この世界から核兵器は全て無くなりました」と報告できる日が来ることを祈りながら1997年の初日の出を迎えたいと思います。 Candace Vethさんにとって、新しい年が明るく充実した年になるようお祈り申し上げます。

                         松村亮司

P.S.
もしよろしければ、あなたのメッセージを寺尾メモの「読者よりの感想」の覧に掲載いたしたいと思いますがいかがなものでしょう?
このページ多くの方の御感想を付け加えながら、少しづつでもインターラクティブなものに発展していきたいと考えております。

1995/01/02

松村さん、

丁重なメッセージとともに松村さんのお考えを聞かせて頂きありがとうございました。
ニューヨークのお正月はどうですかとのことですが、ただ一言、”寒い”です。気温は摂氏でマイナス9度くらいですので主人も私もほとんど一日中、家に閉じこもっています。

私は時としてこの世界は非常に住み良いところばかりではないと思うことがありますが、寺尾先生のメモやそれに寄せられたレスポンス、そして松村さんからの私へのメッセージなどを読むと、良い人がたくさん居ることが分かり、心温まるものを感じます。

善は悪から生ずることもあるのです。寺尾先生は高価な代償を支払いましたが御自分の手記を書くことによりこの世に善を残されました。先生はそうすることでどれほど多くの人々の心を一つに纏めてくれたことでしょう。また私達に人生について考えさせその価値を気付かせるとともに核兵器がいかに愚かなものであるかを教えてくれました。

私は、寺尾先生が世の中がコンピューターの時代になりCOARAの人々に巡り合うまで、御自分の経験をお話にならなかったのは、神様がそうさせたのだと思います。

寺尾メモをお知らせ下さり、改めてお礼申し上げます。

私のメッセージ、どうぞ御自由にネットに載せてくださって結構です。なんと名誉なことでしょう。このすばらしいニュースを明日事務所に行って皆に話そうと思います。

1997年がよい年でありますように。

今後ともお便り下さい。

Candace Veth



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