伯父の被爆体験記を読んで

寺尾 まり

1997年8月6日
  寺尾武治は私の父の兄にあたります。

  私がまだ子どもの頃、祖母から伯父が学生時代に広島で被爆したことを聞いてはいました。家に帰ってきた伯父は目に包帯を巻いた痛々しい姿で、祖母も父も、目が見えなくなったのではないかと心配したそうです。しかし、後遺症も感じられず元気でしたし、いつも穏やかな伯父から、特にその話を聞くこともないままでした。その伯父が自分の被爆体験をCOARAに書き綴っていたことを知ったのは、昨年亡くなった後しばらくたってからでした。松村亮司さんが届けてくださった、このサイトのハードコピーが伯母から送られてきたのです。

  読んでみて、書き残してくれてよかったという思いと、なぜ生前に直接聞いておかなかったのだろうという思いが交差しました。でも、果たして今ここに伯父が隣りにいたとしても、何も聞けないかもしれません。親戚の間柄では照れもありますが、思い出したくないことを無理に語ってもらう勇気は出ず、やはり伯父が口を開くのを待つしかなかったのかもしれません。幼い頃に遊んでもらった時の伯父の記憶をたぐりながら、あの穏やかな目の奥に「生かされている思い」が常にあったことを知って、胸をつかれました。

  それと同時に、みなさんから寄せられた数多くのメッセージに、私たちのあまり知らない、教育者としての伯父の姿を見ることができ、本当に素晴らしい人たちに囲まれていたのだなあと感激いたしました。松村さんはじめ、多くの関係者の方々に改めて感謝いたします。

  伯父に限らず戦争の悲惨さを体験した方々の高齢化が進んでいますが、夫の父も九死に一生を得て、戦地から復員してきたひとりです。聞くほうも話すほうも、勇気のいることですが、身近な人たちの戦争体験を直接聞けるのは今しかなく、それを子どもたちに語り継いでいくのは私たちの世代の責任なのだな、としみじみ思う今年の夏です。

                 寺尾 まり