ヒロシマで生まれヒロシマで育った私
ヒロシマを離れてヒロシマを感じた
古庄 由紀(旧姓 宮原)
1999年8月4日
私は「ヒロシマ」で生まれ「ヒロシマ」で育ちました。
今でも夏は好きではありません。
サイレンの音・・・町全体がしんと静まり返る朝・・・
いつもの朝と空気が違う「ヒロシマ」の特別な朝。
「八月六日」の朝のTVはどのチャンネルも平和公園での式典中継が放送されています。
私は両親 が共働きでしたので、夏休みである「八月六日」は妹と二人きりでした。
いつも喧嘩ばかりしていた私達ですが、この日ばかりは2人身を寄せ合っていました。
『早く終われぇ〜』と心の中で叫びながら、部屋の中で息を潜めていました。
中学生になると式典に参加しなければなりませんでした。
私にとって「原爆記念日」は苦痛以外の何物でもありません。
原爆資料館は私の見たこの世と無い「地獄」です。
私のホラー嫌いの原点はここにある。
幼児期に原爆資料館でみたマネキンの顔を夏になると鮮明に思い出してしまう。
焼けただれてずるむけになった皮膚がたれ下がっている。
小さい頃から戦争の恐さは嫌というほど教えられました。
両親や親戚、近所のおじちゃんやおばちゃん、おじいちゃんやおばぁちゃんの戦争や被爆の話。
毎年「八月六日」が近づくと始まる戦争関連の特別番組での映像。
平和学習での悲惨な映像。
平和学習は私には恐怖でしかありませんでした。
作り物ではない現実が映し出されるのです。
手も足も胴体も首もばらばらになり、生焼けで焼きただれた死体の山。
半分死にかけた、人間。
人間の形をした物体。
そんなむごいものが学校の体育館で映し出されるのです。
映像は白黒だったけど、それでも怖くて下を向いて
耳を押さえていました。
大分に嫁いで初めて迎えた6年前の「八月六日」・・・
なんで朝、ワイドショーを放送しているの?????
本当に本当にびっくりしました。でも同時にとても嬉しかった。
「ヒロシマ」の「八月六日」のにおい、「ヒロシマ」の夏のにおいは大分にはありませんでした。
大分で友人にそれとなく、原爆の話を持ちかけたことがありますが、私の望むような知識や返事は得られませんでした。
広島・長崎以外の都道府県ではそんなものなのかなぁとそれからは話題にすることもなくなりました。
これで少しはあの悲惨な体験談や映像から逃れられると心でつぶやきました。
でも、子供を産んでやっと、「忘れてはいけない、忘れてはだめなんだ。」
ということに気がついたのです。
初めて平和学習の意味を知ったのです。
今まで私は自分の感じた恐怖から逃れることしか考えていなかった。
息子には私自身が語り聞かせるつもりです。
それが広島で生まれ育った私の役割だと思っています。
息子が戦争に加担したり戦争を起こしたりしないようにすることが、母親としての努めだと思っています。
そして、息子からまたその子供へと戦争と平和を語り継いでいって欲しい。
今は、大分でもきちんとした平和学習をされているようです。
(このきちんとしたというのは、あくまでも「ヒロシマ」で育った私の尺度ですよ。)
「ヒロシマ」の惨劇をアニメで伝えたものは今までも数多くありました。
私が小学校低学年の頃の平和学習ではアニメを見させられました。
(私にとっては見させられたという表現が適切です。)
アニメでさえ怖かった。
今年の新作である「よっちゃんとビー玉」と「はとよひろしまの空を」というアニメは、残酷なシーンを減らし子供に親しみの持てる題材を選び制作されたということです。
大人も図書館や視聴覚センターなどで見られるといいですね。
是非、一般上映して欲しいものです。
寺尾先生のお話は、特別な方の体験ではないのです。
あの日「ヒロシマ」にいた方は皆んな体験しているのです。
戦争が起これば、私達だって体験するかも知れない。
いいえ、絶対体験するはずです。
あの日の「ヒロシマ」は本当に地獄絵図のようなありさまだったそうです。
あの日の「ヒロシマ」を語ることは、本当にお辛いことだったと思います。
友人のおばあちゃまは絶対に語らないと言っていました。
思い出したくもないそうです。
また先日、大分にお住まいの友人が被爆者だと知りました。
私が広島出身と知ってそっと教えてくれたのです。
「実は私は被爆者なんですよ。」と。
「そうだったんですか。」と私。
「でもあの時の話はしたくないんです。思い出したくないんです。」
と言ったきりそれ以上は何もおっしゃいませんでした。
私もそれ以上聞きませんし、何も言いませんでした。
この方も心に大きな傷をお持ちのようです。
あの日の被爆体験で気が狂った方は数多くいます。
ケロイドを実際にこの目で見た時は言葉も出ませんでした。
「ヒロシマ」では、心にも体にも傷を受けた方が数多くいるのです。
私はあの日に存在していなくて本当に良かった。
平和な時代に生まれて本当に良かった。
それが「被爆都市ヒロシマ」で生まれ育ちながらも、原爆の事実と背中合わせに生きてきた私の本心です。
戦争はむごい。
絶対に戦争は嫌だ!!
広島では「人類が皆平和でありますように」と黒い文字で書かれた白いプレートが家々の塀や玄関に貼られています。
その文字は、私自身の心の中に染み付いているのだけどいつもは何気なく通り過ぎてしまう。
夏が来ると、蝉の声を聞くと、照りつける太陽の下で立ち止まりじっと見つめる。
毎年、夏はその繰り返しだった。
現代の当たり前となった平和と豊かさの中で見失いそうになる真実。
「戦争はなぜ起こしては行けないの?」と聞かれると、私は「だって家族が死ぬと悲しいでしょ。」と答える。
それが私の、戦争を起こしてはいけないことの原点だから。
愛する人に生きていて欲しい、ただそれだけ。
私達はこの平和を、戦争の悲惨さを後世まで伝えていかなければならない。
平和の中で生きている者の義務だと思う。
夏は戦争と平和を考える良い時期です。
1年に一度だけでも考えてみて欲しい。
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