原子爆弾による被爆の話(2)
発言1046(00739/寺尾 武治 /自由人 )91/08/04 10:57
その2
すると眼の前の床板が大音響と共に崩れ落ち、もうもうたる土煙りが立ち上がりました。爆弾がすぐ前に落ちたものと思い、じっとしていました。しかし爆発しません。てっきり不発弾と思いごそごそはいだしました。実は爆風で床板が落ちたのでした。友達が「お前、右の眼がつぶれている」というので、右の眼をさわってみると、手にべっとりと血がつきます。しかしちっとも痛いとは思いませんでした。爆風で窓ガラスが粉みじんとなり、雨のように降り、飛び散ったガラスの破片で切ったものでした。血が眼に入り右目が見えなくなりました。友達の肩にすがりふらふらしながら、会社の診療所にたどりつきました。何と二三百人もの負傷者が列をつくっています。そのほとんどは火傷です。後になって聞いたのですが、この火傷の人の中には、沢山の死人が出たそうです。私は直射光線に当たらなかったのが、不幸中の幸でした。右眉上他数箇所、全て顔面の傷だったので止血法がなく、流れるにまかせた血で、服もズボンも真っ赤になりました。人が見たら大怪我に見えたのでしょう。前の方に引っ張り出され、簡単な消毒の後、四針ぬいました。幸いに眼には異状なく、眉毛の所を切ったため、皮がだらりと下がり血が眼にしみこんで、眼がみえなくなったのでした。火傷の人の手当は、白い薬をぬる以外になかったようです。私は、それから戸板にのせられて、胸に「氏名、本籍、年齢、血液型等」をかいた紙を置かれ、爆風で傾いた建物の陰に、他の負傷者と共に並べられました。右を見ても左を見ても、火傷の人がウンウンとうめいています。そして生きている人間の火傷が、悪臭を放ちながら腐っていきます。「くるしい。くるしい。水をくれ。水をくれ」と、うめきながら死んでいくのです。私もその中に横たわっていました。何時頃だったでしょうか、あの雲一つなかった青空が、己斐方面を中心に、真っ黒な雲に覆われ大雨が降っているように見えました。午後三時頃、我々が帰るため江波丸が準備され、宮島の宿舎に帰りました。翌8月7日は元気な者は広島市内の後片付けに出かけましたが、負傷者は宿舎で手当をうけました。
8月8日
この日は、顔中に包帯を巻いて、わずかに左眼だけをだした格好で、友達と共に船で江波の造船所に行きました。それから街にでました。広島の市内は乗物一つありませんので、全て歩きました。先ず南観音町の下宿 松岡さんの家を訪ねました。何もありませんでした。吹きとんだのか焼けたのか、跡形もありません。もちろん私の布団を初め本など全て何もありませんでした。松岡の叔父さん叔母さんの生死も分かりません。現在も知りません。仕方がないので、とぼとぼ歩いて東千田町の学校に向かいました。見渡すかぎ り一面の焼け野が原の所々に、コンクリ−トの壁だけが残っています。右を見ても左を見ても、まだ処理できていない死体が、ごろごろ横たわっています。その死体の間に点々と肉親を探し求めている人々がいます。家の焼け残りを組んで死体をだびに付す人々がいます。死臭ただよう中をとぼとぼと歩きました。橋にかかると、暁部隊の兵隊が上陸用舟艇で、川底に沈んでいるおびただしい死体を引き上げています。みんな一糸もつけていません。手をあげたり、足をふんばったり苦しそうな格好で、しかも水をふくんで青白くふくれあがっています。今思いだしても、本当に眼を覆うようなゾッとする光景でした。
続く
米軍撮影
左下に相生橋と慈仙寺鼻付近。元安川を隔てて原爆ドームが見える。廃虚の中にビルが点々と残る。
中島本町(平和記念公園)上空から東方向の焼き跡を望む。写真中央が爆心地にあたる。
@レスポンス 石田 洋子 91/08/04 23:07
寺尾先生 貴重な体験をありがとうございます。
ありがとうございます。というのが なぜかはばかれるような、 そんな気持ちで書いております。
子供達は学校で原爆の日には かならず原爆の映画をみます。
低学年のときは それはそれはショックで昼食も口にできないこともありました。
行きたくない 行きたくない といいながらいつも行く登校日でした。
あの悲惨な映画をみるのが嫌だと・・
でも子供の心の中に いまでもその思いがしっかりと焼きついています。 それほど 強烈な思いだったに違いありません。 そのころ私は娘の様子に「ほんとうに 見なくてはいけないのかしら」 なんて思ってしまったこともあります。
でも 今 はっきりと 「やはり きかせるべきだ!」と確信しています。
故郷の街焼かれ 身寄りの骨うめし焼け土に
今は白き花咲く ああ許すまじ原爆を
二度と許すまじ原爆を われらの街に
マダム 洋子
@レスポンス 永野 美恵子 91/08/05 12:04
寺尾先生
広島の体験書いてくださって,何と言っていいのか言葉がありません.
厳粛な気持ちで読ませていただいております.
戦争は悪いと知っていながらなくならない.平和のための戦争まである.戦争は勝った国,負けた国双方にとっても悲惨な結果になる.そしてその他の国にも地球全体にも環境破壊がひろまる.戦争の愚かしさはこの湾岸戦争でいやと言うほど思い知らされたはず.
どうか地上から戦争がなくなりますように.
そんなことも併せて祈りながら寺尾先生の体験を読ませていただきます.
永野美恵子
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