読者からのメッセージ
ホームページの紹介をありがとうございました。朝刊で見てすぐにアクセスしました。 気を逸らすこともできずに読み進みました。読後の感想など簡単にはいえません。 通信を初めて間もないもので、不慣れで試行錯誤ですが、すばらしいページに出会えて感謝しています。 戦争責任は私にもあるのだろうか? とよく思いますが、決定の場に居なくとも、遂行の中には居なくとも、それを行った国の住民としての責任は、他の国の人へ対しては免れえないのだろうと思います。戦争のまっただ中に、中国で生まれました。戸籍の出生地を見る度に、日本の中国侵略の証拠を見る思いがします。 8月のこの時期に2度広島を訪れました。慰霊碑の裏側に刻まれている、一人ひとりのお名前を見たときの体が震える思いを忘れられません。数字で人数を理解することはできなかったと言うことでした。限りなく刻まれている数え切れないお名前にふれることで、犠牲と成られた方々の多さを実感しました。あのお名前の中身が、読ませていただいた「話」だったのです。 平穏に幸せに思える現在の暮らしのからは、無関係とも思える現在の世界の戦争状態です。自分だけの快適な暮らしを望み続けるから、世界の戦争状態が終わらないのかもしれないと思いもします。 歴史の彼方に記憶としてだけ残すようなことにしてはいけません。「被爆の話」は、プリントアウトしましたので、地域の仲間との学習の場でもう一度読ませていただきたいと思っています。 今日の朝日新聞にて、寺尾さんの事を知りました。 私は普段、インターネットなど殆ど活用しませんので、帰宅した主人に頼んでコアラのホームページに接続してもらい被爆体験を拝見する事が出来ました。 広島には、一度も行った事がありませんが、とても身近に感じられた気がしました。いつか自分のこの目で原爆ドームや広島の街を見て、寺尾さんの語られた事を思い出してみようと思います。 ( 川崎市・大澤純子・29歳 ) なんとなくネットサーフィンをしていました。 「検索」エンジンで、本当に何気なくこのページをクリックしていました。 引込まれるように読みました。読みながら、脳裏に映像が浮かんできました。 私は今まで、被爆関係の資料からはできるだけ目をそむけてきました。 それは中学生の頃、クラスの学級文庫に置いてあった1冊の写真集が原因だと思います。13年ほどたった今でもはっきり覚えています、あの1枚の写真、子供の真っ黒な焼死体…。 恐ろしくてたまりませんでした。 読み終わって初めて、今日が8月6日であることに気付きました。 語り部の皆さんを始め、被爆を直接体験された方々が年々少なくなっていきますが、決して風化させてはいけないことだと思います。 世界中のたくさんの人が寺尾先生のメッセージを読んで何かを感じてくれますように。 寺尾先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 札幌市 飯塚 敦子 おひさしぶりです。岡山の谷岡です。 今年もまた8月6日がやってきました。久々に「原子爆弾による被爆の話」を読み返してみました。今朝は今朝で「ズームイン!朝」の中継を見つつ、黙祷してから出勤しました。 改めて、戦争や原爆の恐ろしさ愚かさを、ずっと記憶していかなければならない、と思います。各テレビ番組でも、だんだんと「戦争実体験者」が減ってきていることを危惧しています。残された時間を使って、もっともっと記録・記憶に残さなければ....。 愛知県の先生も感想で書かれていましたが、いつの時代も子供達は純粋です。「恐ろしいこと・してはならないこと」が子供達の心ににしっかりと焼き付くことを願います。そして世界中の子供達にも、このような教育がなされることを願います。戦勝国の論理・敗戦国の論理、関係ありません。戦争そのものの否を世界中の教師が教え、子供達が理解してくれることを望みます。 物が豊かになり、人間の価値観が多様化し、なんでもアリの世の中になってるような気がして、なにが絶対なのか?と自問自答することがよくありますが、戦争、これだけは「絶対に悪いこと」なのは、永遠に不変でしょう。 寺尾武治さんの体験記がホームページに載っているのを見て、早く読みたくて会社で頼んで、読ませて頂きました。 読みはじめてから私たちが知らない、たくさんのつらい体験をこのように、載せることは、どんな心境だったのでしょうか? 私は、戦争も、原爆も知りません。でも新聞で寺尾さんの記事を見た時、とてもつらく悲しかったです。 私には、二人の子供(12才、4才)がおります。この体験記を必ず読せるつもりです。 貴重な体験記を、読ませていただき、本当にありがとうございました。 今,「原子爆弾による被爆の話」のほとんどをプリントアウトできたところです。寺尾さんの手記を読ませていただき,自分が昨年訪れた広島のことを思い出しながら,52年間という私にとっては長い月日の重みを感じています。これだけの多くの方々のご感想が世界に発信されていることは,いつかきっと認められることと思います。 私は,三重県の小さな小学校の教師をしているものです。 高校2年になる息子と 共に読ませて頂きました。 私自身戦争のことなど あまり関心がなく、すごしてきてしまい、子供たちに両親をなくしてからは、もう子供たちに戦争の事を話すすべをもたなくなってしまっていました。 私も子供と同じ次元でしか 戦争のことは しらない現実に風化させてはいけない過去なのだと あらためて 思い知らされました。 名古屋 西堀 るりこ はじめまして、自分は、21歳なので戦争については資料や映画等でしか知りません。父も56歳なので戦後のことしか話せません、祖父においてはそのことについて話したくないらしく戦争の話になると黙ってしまいます。その祖父も去 年亡くなり自分のまわりに戦争体験者はいなくなってしまいました。しかしこのページの体験記を読ませていただいてとてもためになりそして鳥肌が立ちました。そして読み終わったとき自然とこのメールを書いていました。 とてもすばらしいページありがとうございました。 齋藤 心一 8/15 寺尾さんの被爆体験記読みました。 私はこれを読んで、何度も目を覆いそうになるのをこらえて読みました。子供だからこそ、知っておかなければならないと思いながら・・・。 先日、テレビで、戦争を体験した方々が、記念館の「南京大虐殺」の展示に対し、抗議をしているのを見ました。 これからは、私たち子供も、このことについて考え、そして変えていかなければ、ならないんですよね。そのために、今は、たくさんのことを学び、いろいろな知識を身につけていこうと思います。 井上美穂 千葉県 中学3年 私たち家族全員、故寺尾武治さんがこのような記録を残してくれたことに感謝します。もしこの記録が無かったら私たちはこの出来事を完全に理解することは出来なかったでしょう。 私たちの父は当時、原爆を投下した Army Air Corp 空挺部隊に所属しておりました。父はその後、戦争が人々にもたらした恐るべき破壊について長い間、心を痛めていました。なかでも多くの子供たちが戦争の犠牲になったことを深く悲しんでおりました。 その後何年かして義父が、続いて1年も経たないうちに祖父が二人ともやはりガンで死にました。二人とも原爆実験直後のニューメキシコ州 Alamagordo で働いていたのです。 またつい最近、私たちは男と女の兄弟を若くして失いました。これが寺尾さんの言う「こんなこと」と関係あるのかどうかは分かりませんがこうして亡くなっていった私の親兄弟はやはり「原爆の子ら」ではなかったかとふと思うことがあります。 敬具 このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です 寺尾メモ経由であなたのホームページに到達しました。この寺尾メモは非常に貴重な体験談です。これを読んで私は私の国の過去の指導者達があなた方の美しい国土とそこに住む人々対して行った行為を謝罪したい気持ちで一杯です。人間の善性により、このような愚かな考えを持っている人々を沈黙させてしまわなければなりません。 |