読者からのメッセージ

Part7


鈴木 優美 愛知県 01/04/26

原爆の恐ろしさを痛感しました

私は本好きの中3です。いままでいろいろな戦争の本を読んで来て広島の原爆について調べたくなったのです。
調べてみて私は鳥肌が立ちました。この世の中で一番恐ろしい物は人の手で作り上げられた物だと考えたのです。どうして人が作ったものが災いを呼ぶのか理解できません。原爆はそんなものの代表のような物ではないでしょうか?戦争を体験した人はきっと一生許さないと思いました。


キム・アラウス U.S.A. 01/06/12

はじめまして。

このような素晴らしい、感動的なサイトをありがとうございます。他の国の人々のことを読んだり、学んだりすることは大変感動的なことです。

ある国の歴史を学ぼうとする場合、どうしても既定概念に囚われてしまい、その国の人々の物の見方から学ぶことを忘れがちです。私は、特にアメリカではこの傾向が強いように思います。

第二次世界大戦についても同様です。私達は学校で戦争のことをしっかりと教わったことはありません。誰が良くて誰が悪かったかといった程度です。原爆についてもアメリカがヒロシマに原爆を落としたという以上のことはなにも教わりませんでした。

原爆がどんな荒廃をもたらしたかと言う写真さえほとんど見ていません。たまに見せられるものは人の顔が写っていない、破壊された建物の瓦礫の写真くらいでした。私達の国の今までの歴史教科書は被爆の写真から人間の感情を取り去り、無感情なものにしてしまったのだと思います。

被爆記録はあまりにも生々しいのでそうしたのだということが分からなくはありません。しかし、私は歴史上で起こった恐ろしい出来事を学ぼうとするならすべてのことを知らなければなりません。何が善で何が悪であったか、一つ一つをいろいろな角度から見ることによって理解が深まるのです。

結局、私達人間には歴史を繰り返そうとする傾向があるのでしょうか。もしそうだとすればその原因は世の中には自分達とは異なった見方があるということを学んでこなかったからだと考えます。私達にはややもすると物事の表面だけを見てしまい、表土を取り除けてその下にある本当の意味を見極めようとしない傾向があるのです。

私がこの素晴らしいサイトに出会わなかったらその中に含まれている数多くの感動的な言葉にも気が付かなかったことでしょう。
私はもっと多くの人がこのサイトを読み自分なりに何かを感じ取ってくれることを願っています。この悲劇の記録を通じて人々が戦争を未然に防ぐ方策を発見できるものと考えています。

ありがとうございました。

キム・アラウス


カレン・テオ シンガポール 01/07/02

はじめまして.

先ず最初に私はこのような教育的な,双方向のサイトを開設されていることにおを礼申し上げます.

戦争というものを避けることは誰にもできません.原爆であれ,戦争捕虜であれ,世界中どこであれ被害者はいつも一般市民なのです.

寺尾先生はこの醜い出来事の体験を勇気をもって発言されました.
私は彼の言葉に同感します.「こんな事が二度とあってはなりません 」

シンガポール
カレン テオ


永田 加寿恵 大阪府 01/08/06

寺尾先生のお話を読みました。
今日56回目の8月6日を迎え当時の恐ろしさ、残酷さをひしひしと感じからだがふるえる想いです。

平和に慣れきって何も感じなくなってしまっている私たちにいろんなことを気付かせて下さいました。

昭和37年生まれの私は豊かな時代に育ち何不自由なくここまで来ました。

今、4人の子どもを持ち、これからの次代を担っていくわが子たちにこの話を聞かせます。

お話ありがとうございました。

大阪府在住 永田加寿恵


デリン・リッチェ アメリカ 01/08/06

親愛なる皆様へ

寺尾先生の記録を読みまたサイトに寄せられた多くの反響を見て、私は私が受けた強い感動と,原爆投下という事実が私の人生を変えたことをお知らせしたいと思います.


ヒロシマ原爆投下および第二次世界大戦は私にとって個人的にもまた仕事においても大きな転機となりました.私がまだ10歳の頃,私が入っていたフットボールチームに、ある日チームメンバーの祖父という人が来て皆に話をしました.その人の名前はポール・チビスと言い,ヒロシマ原爆投下機のパイロットでした.

その話を聞いた後,私は日本の人々がこの恐ろしい出来事をどう受け止めているのだろうかと気になりました.私はその時(1988年の春)から日本語を勉強しはじめました.大学もオハイオ大学の日本語科に入学しました.そこで日本語や日本文化について勉強したのですが日本に行ったことはありませんでした.


私は自分の目で,日本の人々が原爆投下およびアメリカをどう見ているかを確かめたくなりました.そこで日本を訪れ,日本語に磨きをかけるとともに日本文化を研究しました.一年間,大阪国際大学に留学したのです.

日本滞在中,私はヒロシマを訪れ自分の目でヒロシマを見ました.原爆資料館で数多くの恐るべき写真を見て私の心はずたずたに引き裂かれました.原爆ドームの前に立った時私はポール・チビスの話を思い出し,いったい彼は自分原爆を投下したこのヒロシマに来たことがあるのだろうか,もしあるとすればどう感じたのだろうかと疑問に思いました.

さらに私はこの恐ろしい原爆投下についてアメリカが未だに日本に対して謝罪していないことを信ずることが出来ません.

私は帰国してからポール・チビスに幾度となく手紙を書き,実際にあって話をしたいと申し入れましたが何の返答もありませんでした.


私の人生の目標はアメリカと日本の間に「平和の掛け橋」を架ける事です.過去の起こったことは非常に恐ろしいことであったには違いありませんが,私はこの事実から私が何を学びそして私の数多くの日本の友人とともに日米双方の考え方のギャップをいかに埋めることができるかを考えてゆきたいのです.

私の事務室には一枚の写真が飾ってあります.私がヒロシマを訪れた時に撮ったもので,原爆ドームとそれを取り囲むきれいなピンク色の花が写っています.そして私はこの写真の片隅に漢字で「夢」と書き添えました.何時の日か本当の平和をこの目で確かめたいという思いをそれに込めているのです.

世界的な平和を!

デリン・リッチェ


パルヴィン・チトニス インド(カナダ在住) 01/08/06

ヒロシマの原爆記念館を見て私は人知れず慟哭しました.私は単なる観光客で,まわりに知っている人は誰一人いなかったのですがそれでも私は周囲の人々のことを思うとき涙が流れるのを禁じ得ませんでした.そうです,私たちは皆,兄弟同胞なのです.

人はこの世に生を受けてほんの少しの時間しか神から与えられていないというのになぜ殺しあうのでしょうか.

ヒロシマでなくなった方々に心よりお悔やみ申し上げます


渡邉 英栄 茨城県 01/08/13

はじめまして、私は渡邉英栄と申します。

今回の、首相の靖国参拝を機にインターネットで戦争に関する事を検索していたところ、このHPに巡り合う事が出来ました。
寺尾さんの原爆体験を拝見させていただき、戦争の悲惨さを知る事ができました。私にはどうあがいても当時の大変な状況を感じることは出来ませんが、それでも辛く、胸が詰まる内容でした。

今までの私は、「戦争はもう昔の事」と思いこんで何も調べもせず、平和な世の中にどっぷり浸かっているだけの人間でした。私の祖父、祖母、両親からも戦争に関する事を聞くことも無かったですし、今の時代自然に耳に飛びこんでくる情報ではなくなってきているのもあって、戦争の事を意識すらしていませんでした。

でも今回、寺尾さんの手記と出会い、戦争の悲惨さを知り、それと同時にこのような歴史を繰り返さない事、そして何より将来の日本の為にと命を落とされた方々へのご冥福と感謝の気持ちを強く感じることが出来ました。

この気持ちを忘れず、これからの長い人生をつらぬいていこうと思います。ありがとうございました。

最後に、寺尾さんが辛い気持ちを抑えてこのような手記を書いていただいたことに、心から深く感謝申し上げます。


濱田 学美 神奈川県 01/08/24

 私は小学生の頃よく、原爆に関する本などを(まんがですが)読むのが、大好きでした。きっかけは、小学2年生の頃だったと思うんですが、タイトルはおぼえてませんが、学校で見た映画でした。それから、太平洋戦争のことの、書いてある本など、色々読みました。夏休みにはNHKでやる、戦争の体験談など、毎日みてました。母には(子供なのになんでそんな番組すきなの?)なんて、聞かれる事もしばしばでした。
 わたしは、もともと、北海道出身で(今は、結婚をして神奈川におりますが。)小樽にはじめて、原爆の焼けた遺留品などが(本物が来るのは始めてだったそうです。)展示されたときみにいきました。写真で見るのとは違い、なぜか、胸が、苦しくなりました。原子爆弾というものの、こわさ。
 今は、体験者がまだ、生きていますよね、わたしは、いくら語りつがれても、体験者がまったくいなくなったときが怖いです。何かおこるようなきがします。いくら、口では、嫌だ、怖い、やっちゃいけない。そう思っても、わたしたち未経験者には、本当の恐怖感や、悲しみ、辛さ、切なさ、わからないじゃないですか。
 いまは、何もなく平和で戦争の事はだんだん薄れていく。テレビを見ると一目両全です。何年か前までは夏になると沢山戦争についていろいろやっていたのに、ここ最近は、ほんの少しだけ。この先未来が心配です。
 私の考えは間違っているのでしょうか。もっともっと、原爆、この太平洋戦争のことを伝えるべきだとおもいます。


エレナ・ホーチソン イギリス 01/09/01

このような深い感動を与えるサイトをありがとうございます.

原爆がいかに戦慄すべきものであるかを本当に知っているならば「このようなこと」を思いつく人はいないはずです.私は過去に犯した過ちを多くの人々に訴えることによってのみ未来を救えるものと思います.

寺尾先生の記録は被爆者の味わった苦しみが他人事ではないことを教えてくれました.私はいま,悲しみと怒りに駆られています.私はこのようなサイトに出会えた事を誇りに思います.このサイトは私に人生についていろいろ多くのことを考えさせてくれました.

ありがとうございました.

エレナ・ホーチソン(15歳)
英国


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